吉野・金峯山寺・蔵王権現


雨にたたられた今年のゴールデンウィークの前半でした。後半に入った5月4日(2012年)、雨の隙間を縫って、奈良吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)を訪れました。この日は「みどりの日」といいます。「みどりの日」は4月から5月に引っ越してきたようです。
大阪近鉄阿部野橋駅から、吉野行き近鉄特急に乗って終点まで。この近鉄南大阪線・吉野線の途中駅は藤井寺、道明寺、二上山、当麻寺、橿原神宮、岡寺、飛鳥、壺坂山と西国三十三所や歴史の残る地名が出てきます。当麻寺を麓に二上山の雄岳と雌岳を眺めながらのどかに電車は走っています
「これはこれはとばかり花の吉野山」(安原貞室)の句で有名な吉野山なのですが、花は散ってしまっていてすべて緑の葉桜に変わっています。
目指すは蔵王堂の三体の巨大な青い権現様。不定期開帳の秘仏なのですが、今年のこの時期は開扉されていました。吉野に着き金峯山寺は後に行くことにして電車を下りて、まずタクシーで如意輪寺に行きました。ここの蔵王権現は高さ86.5センチと小振りなのですが、運慶の高弟の源慶作といわれる立像。生き生きとして右手に三鈷杵を振り上げ、二義足を高くあげた蔵王権現独特の姿をしています。眼には水晶玉が嵌め込められていてギラリと光っているように見えました。すぐ近くの後醍醐天皇廟も見たかったのですが残念して、山道をタクシーで回って、両側に土産物店の並ぶ細い道を行きます。商店街の一角で車を降りて金峯山寺へ、これから先は車は進入禁止で進めないのです。おそらくこの細い道は花見の季節は、多くの人出で、肩が触れ合うほど混雑することでしょう。
正面に蔵王堂の大きな建物が見えてきます。檜皮葺きの建物としては最も大きく、東大寺に次ぐ大きさの木造建築物。屋根は裳階(もこし)があり威厳のある外観で二階建てに見えます。
この金峯山寺は山岳信仰や密教などの教義が合わさって生まれた修験道のお寺。役行者(役小角)が大峯山で修行時に感得されたと伝えられる本尊の蔵王権現。三体が並び立ち、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩が変化した憤怒の形相をしており、中央の像は7mを越えるという巨大な躍動感あふれる青い蔵王権現像は三体とも迫力満点です。まるで巨大な青い怪物。これも仏様なんですね。
帰りに気がついたのですが、金峯山寺は黒門(総門)、銅の鳥居(発心門)、山門(仁王門)と揃った大きなお寺でありました。
白洲正子さんは次のように書かれています。
鳥居から少し登ったところに、大きな仁王門があり、その先に蔵王堂が空高くそびえている。これが金峯山寺の本堂で、いかにも吉野山の中心に立つ修験の根本道場の観がある。大きな桜を染めぬいた幕の奥に、三体の蔵王権現が恐ろしい形相であたりを睥睨(へいげい)しているが、中央が釈迦、右が観音、左が弥勒を現しているのは、本地垂迹説が普及した後の産物であろう。
がそうとのみ いえないのは、役行者が蔵王権現を感得した時、最初に慈悲円満の相をした釈迦があらわれ、次に観音と弥勒が示現したが、いずれも山岳修行の本尊にふさわしくないと思い、なおも一心に祈っていると、忽ち大地が鳴動して、岩の中から蔵王権現が、凄まじい憤怒の形相で湧出した。右手に三鈷を持ち、左手を腰に当て、右足を高くあげて、今にも躍り出そうとしているのは、その時の勢を表現したものである。それらの憤怒像が、釈迦、観音、弥勒を象徴しているのは、蔵王の前身ともいうべき三尊を体内に蔵していることを語っており、「蔵王」という名称もそこから出ているのかもしれない。……
(「西行」白洲正子・新潮文庫p.102)
桜の花を愛した西行法師はたくさんの桜の歌を残しています。
ねがわくば花のしたにて春死なむ
そのきさらぎの望月の頃
仏には桜の花をたてまつれ
わが後の世を人とぶらわば
蔵王堂の花供懺法会には桜の花が蔵王権現にお供えされるそうです。大海人皇子(天武天皇)、源義経と静御前、西行法師、南朝の後醍醐天皇、楠木正行、護良親王、花見をした豊臣秀吉……、この吉野の地には多くの人々の物語が刻まれています。
下千本、中千本、上千本、奥千本と桜の花が順に咲いていくそうです。源義経も吉野の桜を見たのでしょうか。今日は桜の花も無く青々とした桜の葉の濃い緑の色だけが目にしむ「みどりの日」でした。










